Chapter2 コーディ体験学習へ
今回の名古屋帰省のもう一つのメインイベントがコーディを名古屋市立高見小学校へ2週間通学してもらうことであります。
僕自身この小学校へ実家から通学し、本当にたくさんたくさんの思い出があって、コーディにも是非、日本の学校を体験してほしかったのです。
これは僕の思い出の学校も行ってほしいという願いが殆どで、コーディ自身は???コーディは日本語が全く喋れないのでジジ&ババの方が心配でしょうがなかったらしいが...
カナダから前もって小学校の教務主任先生へ電話しておいたところ、「名古屋に来たらまた電話して下さい。うちの学校はいつでも歓迎します。」とのありがたいお言葉。好感触!カナダから電話しなくても良かったのかもしれないが、やはり、前もって電話しておいた方がいいですよね?今回名古屋に着いてから早々に電話し、教務主任の長谷川先生が授業でいらっしゃらなかったので教頭先生と僕とコーディとおまけにニコラス(彼はまだ一年生になれない)と面接をした。彼らの足癖の悪さに冷汗をかきながら(カナダのソファより低めでその前に子供のサイズで足を乗せたくなるような位置にテーブルがおいてある)も手続きは何もなく、何も提出することもなく、ランドセルもいらないとのことで、「上履きと、体操服のようなものだけ用意しておいてください。あと給食は実費で一日200円です。学費はありませんよ」と簡単に入学許可を頂いた。数日してから分団通学(なんという懐かしくも素晴らしい響き!)の連絡を頂き、手続きすべて完了。あとは月曜日を待つのみ
月曜日の朝が来た。一緒に通学する3件隣の飯田さんのお兄ちゃんは5年生。弟くんは3年生でコーディと同じクラスだ。集合場所にはもう一組の姉妹が待っていた。分団長さんらしい。ということで初日なので僕も一緒に学校へ行く。職員室へ行き光村先生と初顔合わせ。早速クラスへ行く。途中で僕の同級生のこどもたち数人と会う。コーディとは生まれたときから毎数年に毎数回あっている仲だ。「今日からだね。コーディ」とことばをかけてもらいながら、クラスに到着。3年2組。まずは学級委員さんと、そしてクラスの皆に光村先生から軽く紹介され(授業前なので)そのまま運動場へ行き朝の全体集会。ということで僕はそのまま家に自分が通っていた道で僕にとってはつい最近の様な感じのする小学校へ通う不思議な感覚に、僕はこの土地で育ち遊んだ思い出からカナダよりもシックリ来る感じで、子供達には一体カナダとカナダで過ごすのとどちらがいいのか考えてしまった。日本も教育や環境問題などでいろいろあるようだが、ここでも、急激な光熱費等の高騰による先生の賃上げストライキが数週間予定されていたこともあり、日本でもおおくなってきた親の離婚率の高さと気軽さなど結構問題もある。
2姉妹&2兄弟+コーディで分団通学。とあさの全体朝会
懐かしさのあまりお父さん思わず感激の涙?
家に帰ると孫を心配するジジババと、ニコラスをよそに、コーディは僕を学校から追い払うようにして遠のいていったのでそのことをじじばばに伝え、まずはみんな一安心。
10時くらいからどこか行こうかと思ったがニコラスはまだジジババには慣れてない様子なので僕もつきあってじじばば4人でスーパーに行ったりしてるうちに、コーディが飯田さんの弟君マー君と御帰宅なさいました。このマー君はクラスも一緒のこともあり机も隣同士で教科書を見せてもらっていたようである。ありがとうマー君。コーディは授業中何をしていたのだろうか?言葉も喋れず日本語も読めないのに彼からの言葉は“So Fun!”である。
給食はコーディは好き嫌いも多いので、きくと、全部食べたという。あれ?野菜嫌いじゃないの?......
初日ということでコーディもお疲れになられたことと思っていたが、彼は友達と近所の公園で遊技王カード(今や日本のアニメはベイブレード(爆発的人気で類似品が出回っている。また、ハムタローなど全て吹き替えですごい人気!もちろん任天堂、プレステ2などは大きなプレゼント。サンタクロースから?)を見せ会う約束をしたらしいので、ニコラスもつれて自転車にのって公園にいった。子供達は何を話しているのかわからないが皆楽しそうにしてるしシェークハンドから始まる子もいたりして国際的。その昔に比べると、外国人に対する特別な視線が無くなったばかりでなく英語でもスムースに入り込める雰囲気が言葉だけではない、僕達が子供の頃にまだあった国際性の壁を越えたようにおもえた。英語教室に通うだけではないこうした国際感覚は自然に身に付いていくものなので彼らの時代はもっと世界を舞台に活躍する人が増えていくのだろうと思う。そんな事をぼんやり考えながら僕はベンチで銀杏を拾っているひとをみながらお昼寝。フッと目が覚めると僕の同級生が近くに同じように子供を遊ばせていたので気軽に雑談。昔ながらの友達はいいもんだ。カナダの人は車を買える感覚のようによく引っ越しをするのでこの町の人も4年くらいで親の住む町や同じ金額で大きな家に住める町に行ってしまう人も本当に多いのだ。親と住むと言えば、日本からここに引っ越してきたのは妻の実家がここにあるからだと思われる事も多いのだが、答えはNOである。妻の実家はここから800km程東に行ったサスカチュウワンという所にある。そこは地平線が500kmほど果てしなく続くところで、僕にはあまりにすごすぎるところだし、バンクーバーやトロントのようなカナダの都会にはあまり興味がなかったし、カナディアンロッキーは自然もあるし観光もあるし適度に日本語もあって綺麗なところだから選んだ訳でジョスリンの親とはあまり関係ない。移住してからの最初の問題は子育ての大変さにノックアウトされたことだった。というのはうちの両親はコーディを溺愛していたので、朝から夜まで預けっぱなしにしておいてよかった恵まれた環境だった。しかしある日カナダに来て24時間育児をするとなるとなんと大変で苦労するんだろうと感じていたものだった。いまだにコーディにとってはあのままジジババに甘やかされ育っても良かったのかなと思うこともおおい。そんなコーディが無事日本の小学校で初日を済ませた夕食の間もジジババは、「いやだったら無理して行かなくてもいいぞ。」とバカっぷりを発揮しているが、当の本人は結構楽しそうにしているしジジは「よく頑張ったご褒美にUNYへ連れていって上げよう」とまたもやバカっぷりを上乗せし、孫二人を連れて歩いてUNYへゲームとおもちゃを買いに行った。
あさ、飯田兄&マー君が呼びに来て学校へ行き、日本語の授業を受け、放課を楽しみ、給食を体験し、友達と色んな事を話し(たとおもう)、そんな日々を10日間楽しそうに小学校へ毎日がんばって無遅刻無欠席で通した。小学校の中でどのような事が起きていたか分からないが先生に聞くところ放課は皆で楽しそうにしていたとのことだ。もし現在の僕だったらそんな風に楽しめるのかな?最終日にはクラス全員からの寄せ書きまでも頂き、僕達の心配をよそに100点満点の経験であったと思う。
光村先生を初め3年2組のクラスみんなをはじめ、心地よくコーディーを受け入れていただいた校長先生、教頭先生、教務主任そして毎日一緒に登校してくれたマー君と、お兄ちゃんそして分団長姉妹。み〜んなに感謝します。Thank
you very much.
PS、先日光村先生クラスからクリスマスカードを頂き、またいつでも来てねと暖かいお言葉ありがとうございます。ひらがなくらい読めるように特訓しておきますのでその時はまたよろしくおねがいしますね。コーディも楽しみにしてるそうです!
その時ニコラスは?
生まれて初めて電車に乗ったり(もちろん地下鉄も)
東山動物園でオラウータンの赤ちゃんと遊んだり
グルメしたり(撮影場所は世界で一番美味しいと思うPASTA家)
名古屋ではふつうのことだけどカナダにいると出来ないようなことを過ごしていました。
Chapter3 旅の終わりに向けて
コーディは小学校へ通い、ニコラス初の海で泳いだり、銭湯へ、ラーメン屋、お祭りにも行ったりした僕と2人の息子達の名古屋への帰省はあっという間に過ぎてしまった。
今カナナダ大自然のなかで綺麗な大きな家に住んですごく快適だけれども、我が故郷名古屋のあの雰囲気も大好きだ。
今日スキーに行って感じたのだけどやっぱりこのカナディアンロッキーも大好きだ。
飛行機に乗って数時間。時にはハワイとかメキシコにも行ってみたいけど、毎回妻のジョスリンの一言で決まってしまう「パパとママに会いに行った方がいいんじゃないの?」
またいけたらいいけれど、あの時差ボケも修復困難だし、もうちょっとここでオフにゆっくり休養したいな。と、思う。
空港でのお別れはコーディのジージへの涙。この二人は生まれたときからこんな感じで仲がいい。
そんなコーディを見ているとやっぱり二人のためにも日本に住んだ方がいいのかなと真剣に思ったけれど….
親のところで居候していた3週間の間に母から言われた「私たちもそろそろ歳だからあなた達が側にいてくれたらな」という僕の心を揺さぶる言葉がコーディの涙を見ながら重なっていた。
空港チェックインも難なく終わり、(荷物の中の筒状のものがX線で不審物として怪しまれ「この中に円柱状のものがありますがなんですか?といわれて「アレなんんだっけ」と思って、カレーのルウとか、退院祝いでもらった布団とか、煎餅とか、チロルチョコレートとか結婚式の引き出物のお椀とかぎっしり詰まった6個のスーツケース!の一つを空けたらそこには筒状のバスクリンが発見されるというセキュリィティでの笑い話は除く。。。日本〜カナダ両間に色々セキュリィティチェックとして荷物チェックやボディチェックを何度とするけれど、僕は警備はしてくれた方が安心なので、例え爪切りや裁縫はさみに至るまで念密にされても気持ちよく受けるようにしてます。(飛行機の中で爪を切ったり裁縫をするのはちょっと我慢してね)機内持ち込み手荷物の中には凶器になりそうな本当に小さなミニチュワ版でさえ没収され返却されませんし、PCやカメラも電源が入るように充電していないと非常に面倒になることもありますので要注意!!それと、お父さんだけとかお母さんだけとかの旅の場合、一筆「このことお父さんだけでもカナダ旅行することを認めます。」というようなサイン入りの持ってきて下さい言われることが日本やカナダの空港カウンターや出入国管理局から言われることもありますので用意した方がいいでしょうね。
そんなこんなでコーディもニコラスも搭乗準備OK!さよならJapan.
帰りの便はなんと乗客37人という超赤字飛行。僕も子供達も余裕の全シートを使ってのリラックス。バンクーバー発のに比べ機内食もかなり美味しかった。事前に予約したKIDSMEALも大満足。ビールとワインを一気に飲み干しそのままゴロ〜ンと横になり、3時間ほど寝た。考えてみれば日本時間で7時に寝てもそれは酔っぱらってのお昼寝みたいなものでそんなに長くは寝れなかったけれど、ジェット気流に乗れるので予定より30分早く、行きのバンクーバー発に比べ3時間近く短いフライトで尚OK!OK!税関もスイスイいけてMOREOK!OK!いつも荷物チェックで別室で、カレーのルーのパッケージをみながら、牛肉入ってるだろ(狂牛病の心配かな?...)とかの別室御案内も今回はなくて感動。ゲートを出た左手すぐにあるエアーカナダの受付のようなそうでないような壁際のベルトコンベアーに荷物を載せ、フードコートで子供達にバーガーキングのKIDSセットとルートビールを食べさせて(僕には食べれない。食べたくない…)カルガリィまでの便の待合場所へ。どこも英語ばかりだ。定刻通りにバンクーバーを離陸し定刻通りにカルガリィに到着。そしてスムーズに荷物が出てきた。今回は定刻の飛行機に乗れたし荷物がすんなり出てきたのでとてもラッキーな旅だった。ジョスリンに迎えに来てもらい1時間15分で自宅へ。時差で眠いので夜7時に寝た。子供達は夜中の3時に目が覚め、僕も快適に?夜中の3時に目が覚めた。今の時期はから5時間ほど陽が空けない。夏の白夜に近い状態に比べるとサマータイムを導入しないと朝9時半過ぎまで暗い状態になってしまう。名古屋ではそんなときデニィーズなど24時間やってるレストランへ行ったりしても車は走ってるし結構人がいるので寂しくないけれどここでは何もやっていないので暗いとクラ〜イのだ。本当は日本滞在中にやらなければいけなかった宿題を大急ぎで片づけたりしながら過ごす。オフシーズンの生活は日が昇り活動し日が沈んでリラックスする。子供達も夏は公園で日が暮れ始める夜10時近くまで遊んでいるが冬は寒く誰も遊んでいないので家で過ごすことが多くなる。子供達は退屈じゃないのかな?ここでは動物園や大きなおもちゃ屋さんにいくのにも100km以上走らないと行けないのだけれど子供達にはそれが普通になるのだろうか?
だから、親たちがスキー場やスケート場へ連れていく。名古屋は寒くて外で遊べないこともないし、人口がたくさんいる割には公園が少ないという点から公園へ行けば誰かいるという利点(と言っていいのだろうか?)があるわけだ。日本でも北国ではどうなのだろう?名古屋から帰ってきてしばらくは名古屋のホームシックになったりして、親もああいうこと言うしそろそろジジババの近くで住んで賑やかにしてやろうかなと思い両親に国際電話をかけたところ「私たちもまだまだ元気だから、カナダで元気にしていてね」といわれ、名古屋ホームシックも時間と共に忘れ去られていくのでありました。
ここでは夕方6時になれば皆家に帰ってのんびり過ごしている人が殆どのような気がする。日本でこんな生活をしている人はどれくらいいるのだろう?僕はこの生活になれるまで3年はかかったけど。慣れてしまうとこんないい時間はない。
今日12月20日子供達はクリスマス休暇に入った。町はクリスマスプレゼントを買う人でにぎわっている。最も日が短い時期。夜になると家にはクリスマスライトが輝く。クリスマスの夜は各地から家族が集まる。
家で暖炉を囲みながらクリスマスツリィの下に置かれたプレゼントを開けたりしながら静かに過ごすのだ。町はどこもオープンしていない。とてもとても♪Silent Night♪。
明日は子供達とスノーボードに行くつもりだ。朝10時半に出て11時に滑り初め、3時には切り上げて帰ってきて、ワインを飲みながら過ごすつもり。こんな生活に慣れてしまったらもう日本の生活に戻れないのかもしれないな。
今日の天気は晴れ。最高気温−5℃。最低−15℃。サンライズ8時40分。サンセット16時40分
完